湯沢は秋田屈指の酒の町。古くから仙台や山形と結ぶ交通の要衝であり、秋田藩の経済を支えた雄勝郡にある院内銀山を支える産業町・商業町として発展しました。
江戸期には17軒にも及ぶ酒蔵があり現在も7軒が操業しています。ただし、湯沢が全国的に有名な酒蔵の町になるのは明治以降になってから。当時の湯沢にける清酒の生産量は秋田一を誇りましたが、全国シェアでは遙かに小さく、灘の酒に対抗する新酒の開発が急がれ、ようやく「両関」が生み出されました。これにより湯沢の酒は全国酒の仲間入りをはたします。
城下町湯沢の歴史は佐竹氏の秋田入封にともない佐竹南家が湯沢に陣屋を構えたことに始まります。湯沢は仙台の伊達家、山形の最上家と接する戦略的要地でもあり幕府の一国一城令に反する形で家臣が配置され城下町が造られました。
幕末に湯沢は激戦地となりますが、明治に入り佐竹義理2万石の岩崎藩が独立して成立します。
現在湯沢には内町地区に僅かな武家屋敷の遺構を残す程度で城下町の面影はほとんど見られません。しかし町内には大規模な伝統的建造物をもった酒蔵が数軒点在しており、それらを見るだけでも湯沢に足を運ぶ価値は十分にあります。
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