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  磐城湯本
いわきゆもと
 時代に大きく左右された古代三大名湯地
 福島県福島県いわき市常磐湯本町三函
旅籠建築・味噌醤油蔵・土蔵  なし  JR常磐線・磐城湯本駅
 
 

福島県のいわき湯本温泉は古代より「佐波古の御湯」(さはこのみゆ・三函、三箱とも)として知られる日本三大名湯のひとつでした。

南北朝動乱期ごろから湯本館や湯本城が築かれていた事から、「湯本」の地名はすでにこのころからあったようです。江戸期には磐城平藩から分封した湯長谷藩1万5000石の陣屋町として発展しました。この陣屋町は現在の常磐下湯長谷町です。
湯本には現在の国道6号線の前身にあたる陸前浜街道(水戸道とも)が南北に通り、その宿場町でもありました。さらに西へは中通りと浜通りを連絡する御斎所街道が、東へは小名浜湊を経て平城下へ至る平・小名浜街道が分岐していました。明和6年(1769)の記録では本陣1軒、上旅籠4軒、下旅籠1軒、木賃宿が13軒あり、いくつかの家々では温泉を家に引き込んで、妓を供して繁盛していたと記されています。

歴史の古い名湯地でしたが、幕末期に商人・片寄平蔵によって炭鉱が発見されて以来、以後明治から戦後にかけて常磐炭鉱の町として急成長します。人口僅か1,000人ほどの村が一気に3万人を越える町へと変わる、天変地異にも近いものでした。しかしその石炭の採掘によって湯本の源泉は大正8年に枯渇してしまい、以後は炭鉱から放出される高温の地下水でまかなうようになり、温泉町としてその幕を閉じることになります。

ところがやがて、エネルギー転換により常磐炭鉱はその役割を終え、産業転換の為に一大レジャー施設である常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)が設立されました。
新たに掘り出された新しい源泉はその半分をスパリゾートハワイアンズが、そして残り半分をいわき湯本温泉へ供給され、再び温泉町として再起したのです。

かつては54軒もの温泉旅館と町の中心商店街を合わせ持った温泉地として賑わったようですが、現在はいずれも衰退して往時の賑わいは無い印象を受けました。歩くと郷愁感が強く漂っています。それでも温泉施設である「さはこの湯」は賑わっています。

 
 
 
裏路地に佇む寺亀醸造
磐城湯本の酒蔵          
清酒 太平桜 太平桜酒造 福島県いわき市常磐下湯長谷町町下92 0426-43-2053