福島県阿武隈山地の南端、茨城県に接する久慈川段丘に広がる城下町棚倉。
慶長8年、豊臣大名で筑後柳河13万石の立花宗茂が、関ヶ原の戦いで敗れ棚倉に左遷されますが築城はせず陣屋に居住しました。後の功績で立花氏は旧領の柳河に復帰。
元和8年に丹羽氏が5万石で棚倉に入封すると、ようやく近津明神跡地に棚倉城と城下町が整備されはじめます。その後は幕閣の中枢を担った譜代大名家が入れ替わり立ち替わり棚倉に入りました。
棚倉は一方で常陸大田街道の宿場町でもありました。宿は古町・新町で構成。それぞれ独立した宿として機能し、15日交代で宿駅の業務を行いました。2・7の日には六斎市が開かれ、また馬産地でもあったために10月には駒市が開かれています。
戊辰戦争で破壊された棚倉城址は桜の名所となっています。かつての常陸大田街道筋は町の中心商店街となり、伝統的な家屋はその姿を消してしまいました。
しかし、下町の桝形から鉄砲町にかけて僅かですが古い商家が残っています、その中で鉄砲町にある酒蔵・藤田屋酒造の一画には、重厚な蔵屋敷や工場・土蔵街が見応えのある景観を残していました。
しかも、この藤田屋酒造はなかなかどうしてセンスのあるおしゃれなブランドを展開しているのです。伝統的な建物とのギャップに蔵元の努力が感じられます。
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