川俣町と霊山町の間に位置する月舘町。当初は通過するはずだったものの、町の中心に突如薄光りする黒漆喰の土蔵や黄漆喰と白壁の商家、土壁の商家の街並みが現れ足を止めました。
月舘の名の由来は戦国期に築かれた佐藤民部の居城「月見舘」に由来します。
江戸期になると月舘は城下町として発展します。筑後三池から立花種善が入封し下手度藩1万石の陣屋町が成立しました。しかし下手度藩は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に加わりながら、朝廷より東北鎮撫の沙汰を受けます。
藩主はすでに筑後三池に移り済んでおり、藩主不在の下手度陣屋は盟約違反として伊達仙台藩に攻められて町域はほとんど壊滅してしました。
月舘は古手川と広瀬川の合流地点に町場が形成され、古くから梁川・川俣間を結ぶ川俣街道(国道349号)の宿場町として賑わいました。明治以降も川俣絹・羽二重の産地として市が立ち、さらに周辺地域の物資集散地として発展しました。
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