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  船岡
ふなおか
 伊達騒動や白鳥事件の舞台となった小さな城下町
 宮城県柴田郡柴田町船岡西1
 構成:商家屋敷・土蔵造り町屋敷 ■ 駐車場:なし
 
 
白石川を挟んだ大河原町の対岸に村田町船岡の町があります。船岡は、梁川街道、亘理荒浜街道などの宿場町で、藩政時代に船岡要害の城下町として発展しました。
近年「伊達騒動」を題材にした山本周五郎の小説『樅ノ木は残った』で一躍有名になります。
伊達騒動とは伊達家の跡継ぎと後見人としての権力を巡って、派閥抗争を繰り広げた原田甲斐と柴田外記によるお家騒動。最後は幕府による裁定が行われ、大老酒井忠清の屋敷で斬り合いに発展し共に命を絶ちました。結局二人の個人的な権力闘争として処理され伊達家の取り潰しは免れました。
長い間、藩政を牛耳った奸臣として言われてきましたが、周五郎は小説の中で、伊達家取り潰しを狙う幕府の陰謀から藩を救った悲運の家臣として描き、再評価をうけました。

同じく小説の中に登場する御用商人・麹屋麹屋又左エ門の家が船岡城址公園の麓に残されています。大正時代まで味噌を醸造販売していた重厚な土蔵造りの商家で、伊達家や柴田家など江戸時代の資料、書画、古美術など約15万点を展示する資料館「麹屋コレクション」として公開しています。道路脇に水路が流れる道沿いには伝統的な土蔵造りの商家が数軒残っています。

もう一つ船岡を舞台にした幕末の事件が「白鳥事件」です。戊申戦争後、官軍の芸州藩兵がこの地で古くから禁猟とする白鳥を狩猟したのに憤った柴田家家臣が藩兵に斬りかかった事件。明治政府の激しい抗議の中、領主柴田意広は仙台藩に累が及ぶのを防ぐため自刃して責を負いました。