古川市七日町に寛政時代から続く酒造業。その他魚問屋・質屋・味噌醤油醸造などを営んでいた橋平酒造店「醸室」があります。「醸室」は「かむろ」と読み、その言葉の響きにも引かれ古川市七日町を訪れました。
『みちのくのをだえの橋や是ならんふみみふまずみこころまどはす』
三日町と七日町を結ぶ「緒絶橋」の脇に左京太夫・藤原道雅の古歌の碑があります。
平安の昔、嵯峨天皇の皇子の恋人白玉姫は、皇子を探し当てられず悲嘆の余り川に身を投げた。玉の緒(生命)が絶えたところから緒絶(おたえ)川、と呼ぶようになり、多くの歌人が悲恋の草枕を詠いました。
柳がそよぐ風情ある緒絶川沿いに橋平酒造店「醸室」はあります。しかし、酒造りはすでに廃業し、貴重な歴史的建造物である酒蔵を残すために、第三セクターが酒蔵レストランを中心とした複合施設としてリニューアルしたものでした。
一部、やりすぎな感じの演出が気になりましたが、全体として施設内の雰囲気はセンスが良く、こういった保存・再生は良い方向だと思います。現役で酒造を行っていれば、尚良かったのですが・・・。
古川は古代多賀城の対蝦夷前線拠点であり、中世には大崎氏が支配していました。
その後、伊達政宗の家臣鈴木元信が古川を治め、城の東側に奥州街道の宿場町が整備されました。毎月、3・7・10の日に順に市が立った三日町、七日町、十日町を総称して古川三町と呼び、大崎地方中心の在郷町として発展していきます。
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