鳴子温泉郷の玄関口にある小さな城下町「岩出山」は古くから羽後街道と北羽前街道の交差する交通の要衝として重要視されていました。
天正19年(1591)豊臣秀吉によって会津・米沢を支配していた伊達政宗は荒廃したこの岩出山に転封させられます。正宗は古くから「岩手沢」と呼ばれていたこの地を「岩出山」と改称。城の修築は徳川家康が行いました。
関ヶ原で徳川方についた伊達政宗は62万石に加増され居城を仙台に移します。
変わって正宗の4男宗泰が岩出山に入り仙台藩の「要害」となりました。
現在の岩出山には城下町の面影はほとんど残っておらず、岩出山城の周囲に配置された家臣屋敷はごく普通の住宅街となっています。
吉岡宿で奥州街道から分岐した出羽街道は中新田を経由して岩出山城下を通り新庄へ通じます。かつての街道筋かどうかは分かりませんが、町のメインストリートは城下町を意識した再開発が進行中です。
岩出山城址の麓に清酒「森泉」の森民酒造があります。広大な酒蔵や土壁の酒蔵や板壁が町の歴史を感じさせる景観を造っています。森民酒造の横の道を少しばかり入ったとこに、現存する日本最古の学問所である「有備館」があります。
藩政時代に岩出山の武士の子弟に教育を授けるために開設された学校で、 寛文3年(1663)岩出山城の二の丸居館が焼失した際の仮居館を後に利用したもので、当初は「春学館」と呼んでいました。その後現在地に移され、「有備館」と改められました。
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