伊達政宗が幼少期をすごした岩出山の城下町に通じる街道沿いに酒蔵が3軒もある町があるので、訪れてみました。
中新田は(なかしんでん)でなく(なかにいだ)と読みます。
古くからの米どころで藩政時代には、代官など4つの会所が置かれた加美郡政治の中心地で、中羽前街道と羽後街道が交差する交通の要衝として宿場町の機能も備えた商業町として栄えました。人や物資が集散し、かつ米どころであれば、当然古くから酒造りも盛んで、現在も3軒の蔵が操業しています。
国道が町を迂回して建設された為、旧街道筋はブロック舗装され景観整備が進められています。しかし、伝統的な佇まいの商家は広範囲に点在している程度です。
まず目を引く重厚な商家が明治39年創業の中勇酒造店を営む中嶋家。
中嶋家は町内有数の旧家で、初祖は藤原鎌足の子孫と伝えられ、大崎氏の時代には家臣として代々仕えたといいます。その後時代の変遷と共に帰農し「大肝入」などを務める一方で呉服商を興しました。酒蔵の裏手に回るとかつて呉服を取り扱った時代の看板などが残されていました。
中勇酒造店の裏道を少し歩くと山和酒造店の酒蔵があります。
明治26年、初代伊藤和兵衛氏が家業の薬屋から転換して酒造業を始めました。一般的に農村部の酒蔵は、その地域の名家や大地主が多く豊富な余剰米を使って、酒造りを行うケースが多いのですが、山和酒造店の初代和兵衛は、一庶民でありながら、ただ酒屋をやりたいという熱い思いだけでスタートしたそうです。現在展開するブランドやマーケティングからも、それを思い伺わせるものがありました。
少し仙台方面に向かった西町に田中酒造店があります。
初代田中林兵衛氏が寛政元年(1789年)に呉服商から転じて酒造業を始めました。
中新田町は2003年に、宮崎町、小野田町と合併し「加美町」となりました。
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