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奥州街道の宿場町として発展した小河原宿は、江戸時代には刈田柴田代官所や柴田郡南方大肝煎会所、さらに藩の御蔵場などが置かれ、毎月3と8の日に市が立つなど、地方藩政における政治経済の中心地でした。
現在国道4号線は大河原市街の北側をバイパスし、国道沿いには郊外型の大型店舗が建ち並んでいます。
国道の南原町交差点付近から小河原橋へ向かう道が旧奥州街道で、橋の手前から分岐して白石川の堤防沿いに旧道は進みます。その先尾形橋周辺のわずか500mあまりに道筋に、かつての宿場町を偲ばせる、海鼠壁と土蔵作りの伝統的な商家の街並みが残されています。建物が建てられた時期はおそらく明治、大正期以降と思われますが、状態も良く近年に大幅な修繕が行われた形跡も見られます。古い街並みとしてどの程度認識されているかは分かりませんが、実際に生活され中には店蔵を利用して学習塾を営む家もあり、ある意味生きた街並みとも言えます。
この街並みが住民の意識によって保たれているのは一目瞭然で、行政もただ放置せずにいつまでも残す手だてを考えてほしいと思います。
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