東京でも名を馳せる宮城の酒は「浦霞」と「一の蔵」。その「一の蔵」の酒蔵がある松山町千石を訪れました。
地理的にも在郷町や交通の要衝の臭いがしましたが、いやはや予想通りかなり古い街並みを残していました。といってもおそらく明治期以降の建物だと思いますが、街並みの中程に白壁土蔵を模した博物館「松山町酒ミュージアム」があります。松山町と一の蔵が協力して町の振興施設として建てられたもので、日本酒に関する資料館や一の蔵の試飲、酒蔵が運営するレストランなどを併設しています。
一の蔵の工場は千石地区から5分ほどの山中にありました。製薬会社を思わせる近代的な工場でちょっと予想外。一の蔵は昭和48年に県内の中堅蔵元4社、浅見商店、勝来酒造店、桜井酒造店、松本酒造店が、合併して誕生した新しい会社でした。
三増酒全盛の時代から本醸造酒にこだわり、地道な努力によって今の地位を築いたのです。
松山町千石は伊達家家臣茂庭氏1万3000石の城下町として発展、侍屋敷280軒と入町と台町にはそれぞれ南北足軽町418軒があり、本町と新町には宿場町松山町が造られ、六斎市が立ち人や物資で栄えた町でした。
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