志津川は志津川湾に臨む小さな港町。その歴史は古く、中世より東浜街道(気仙街道)と本吉街道が分岐する交通の要衝として宿駅が置かれ、また伊達仙台藩の蔵入地として年貢米や諸産物が集散する本吉郡の中心地でもありました。
現在町の中心は八幡川を挟んだ西側に移り、かつての宿場町はほとんどその姿を消してしまっています。しかしながら旧東浜街道である十日町の国道45号線沿いと同じく旧本吉街道である五日町の国道398号線沿いに立派な海鼠壁をあしらった土蔵作りの商家が数軒残されていました。地名が示すとおり、かつてはこの宿場でそれぞれ月3日の市が開かれていたのでしょう。
しかし、2011年(平成23年)3月11日。宮城県の三陸沖、牡鹿半島の東南東約130kmで、マグニチュード 9.0クラスの巨大地震が発生。この地震が生み出した高さは15メートル以上の津波は、北は青森県八戸市から南は宮城県仙台市までの三陸沿岸、さらに福島県沿岸から茨城県、千葉県沿岸の町に甚大な被害を及ぼしました。 中でもリアス式の三陸海岸の町々は、その地形ゆえに津波が最大で30m以上の高台まで駆け上がり、「町」そのものを丸ごと消失させる惨事にまで至ったのです。のちに「東日本大震災」と命名。
2005年の合併で南三陸町となった旧志津川も、町全体が根こそぎ消滅し、町の人口の半分以上が依然幾重不明となっています。
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