仙台のベッドタウン化が進む富谷町。このミュータウンの裏手にひっそりと、奥州街道宿場町の佇まいを色濃く残す街並みがありました。
国道4号線はバイパスとなって完全に町を迂回、ほそい旧道ぞいに建つ内ヶ崎家を中心に往時を偲ばせる伝統的な商家や屋敷が奇跡的に残されました。
さらに地元の有志によって宿場町の景観を残すための町並み整備が行われ、同時にかつての名産品であった富谷茶の復活も行われているといいます。まさにハードとソフト両方の再生保存。
富谷宿は伊達仙台藩によって元和4年から仙台以北の奥州街道整備が始まると、七北田宿と吉岡宿の中間宿場が計画され、富谷村の中に富谷町が新たに作られました。
その為富谷新町宿とも呼ばれました。宿場の建設にあたっては、元黒川旧臣で帰農していた内ヶ崎筑後(のちに織部)が命じられます。
内ヶ崎織部は以後大肝煎りや本陣を務め、酒造業として今に続いています。宿の西側にある海鼠壁と黄漆喰の建物が本陣も務めた内ヶ崎酒造。その斜向かいには江戸期創業の醤油屋があり、そこから400m続く旧街道筋には多くの伝統的な建物が残っています。そして、道が突き当たる西の桝形に残されている内ヶ崎家の別邸庭園で富谷宿の街並みは締めくくられます。
|