酒田は肥沃な庄内平野を抱え古くから最上川河港として発達しており、江戸時代には日本海側における物資の一大集散地として繁栄を極めました。
酒田の町は「三十六人衆」と呼ばれる有力商人組合に特別な自治権が与えられていました。藩の地固めが進むと次第にその権限は縮小されていきますが、全国の大名家と個別の関係を持ち、東北諸藩とも財政的な支援によって深い結びつきをもった酒田の商人は依然力を有していました。
ここで面白いのは三十六人衆の地位は世襲では無く完全な実力社会。江戸バブルの最盛期である元禄期には日本一の豪商本間家をはじめ新興商人が次々と現れます。三十六人衆の入れ替わりも激しくなりその総数は101家にも及びました。最初から最後まで存続した商人は10家だけ。酒田商人の競争の激しさを物語っています。
「山居倉庫」は酒田を代表する風景で観光客が絶えません。建物は明治に酒田米穀取倉庫として建てられた11棟の土蔵造り倉庫で、現在もJA全農庄内に引き継がれており、倉庫の一部は美術館やレストランとして利用されています。
倉庫裏のケヤキの大木並木は夏の高温や海風を防ぎ、倉庫内の温度を一定に保つ為の知恵です。
酒田商人の屋敷は川を隔てた対岸の本町・中町・二番町に点在しています。多くは一般公開されており、屋敷の外側から見るだけでも酒田商人の財力を見せつけられました。
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