安食のある栄町は房総半島最北端の付け根のちょうど、ど真ん中に位置する町で、利根川とそれに流れ込む長門川、将監川が合流する地形からも伺えるように、かつては利根川水運の河港として栄えた町でした。
”食の安心”が話題になる昨今に、非常に意味ありげなこの地名は、平安時代後期。
水郷地帯の宿命ともいえる、度重なる水害によって飢饉に見舞われたこの地の住民
が、五穀豊穣を願って駒形神社を創建。翌年は大豊作になり”食に安ずる”ようになったという伝承に由来します。
現在、安食の古い町並みは駒形神社の南側、JR成田線・安食駅とのちょうど中間地点にまとまって見られます。国道356号線が西から南へ直角に折れ曲がり、地方道との丁字路交差点に対峙する939年創建の大鷲神社。まるで門前町のように街道に面して立ち並ぶ塗籠造りの商家建築に旅籠建築は、房総半島に数多く見られる寄棟造りの瓦屋根で重厚かつ時代を感じさせる佇まいです。江戸に幕府が開かた江戸時代以降の安食は、北浦、霞ヶ浦から揚がった鮮魚を行徳(江戸)へ運ぶ陸送の要地として郷蔵屋敷が置かれ、舟渡場や津出場のある河港町として発展していきます。大半は農間余行の半農半商で、質屋、旅籠、居酒屋などが軒を連ね、在郷町として成長を続け、さらに明治期以降の安食は大型汽船の寄航場として、江戸期以上に栄えたといいます。
しかし、この地もまた鉄道の開通が大きな転換期となります。現在のJR成田線の前進である成田鉄道が開通すると利根川水運は衰退し、それに依存していた河港町である安食の衰退は激しいものとなりました。現在の栄町は、町の中心が丘陵上に移り、都心まで1時間半の通勤圏としてベッドタウン化しつつあります。
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