日本の玄関口である成田国際空港(旧・新東京国際空港)でその名が知られる成田市は、古くから成田山新勝寺(成田不動尊)の門前町として発展した町でした。成田山新勝寺は真言宗智山派の寺で、本尊不動明王は「成田不動」とも称され全国にその名が知られます。この成田山新勝寺は天慶3年(940)に平将門の乱の調伏を目的に創建されたものと言われていますが、戦国期には荒廃し、江戸時代に復興しました。
佐倉街道は成田街道とも呼ばれ、江戸町民の成田詣が盛んになった江戸後期ごろから門前町が大きく形成されていきました。成田村は江戸期をとおして佐倉藩領で、文政10年(1827)の記録では商店・宿場の軒数144軒のうち、約100軒が農家の兼業だったと記されています。明治30年に成田鉄道(現JR成田線)が開通。本町・仲町・田町・上町・幸町・東町に加え、駅前周辺の花崎町の7町となります。
成田山は今でも毎年正月の初詣には約300万人が訪れ、これは東京の明治神宮に次ぐ全国二位の参詣客数を誇っています。JRと京成電鉄の成田駅から新勝寺へ至る参道が伸び、電柱の地中化やファサードの修景が進められていました。上町から新勝寺の総門がある本町は谷間の地形で、坂道が続く仲町には木造3階建ての旅館が軒を並べています。
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