町中が醤油工場か関連施設、創業家の屋敷が占めるキッコーマンの城下町・野田。
古くは名もない新田地帯だったこの地が大きく発展するのは、江戸初期に行われた利根川東流の江戸川開削工事によって河岸が開かれたことに始まります。
野田醤油の歴史は、永禄年間(1558~70)亀屋・飯田市郎兵衛が溜まり醤油を生産し甲州武田氏に献上したのが始まりでした。そして高梨兵左衛門によって本格的醤油醸造がはじまります。野田で生まれた濃口醤油はそれまで主流だった関西の薄口醤油をまたたく間に席巻。以後急速に醤油業者が立ち並びました。
しかしその後全国を襲った飢饉などにより廃業が続出。以来、茂木家と高梨家による寡占化が進み、明治を経て大正6年、両家を含む主要醤油造造会社が合併し巨大独占企業・野田醤油(現:キッコーマン)が誕生します。
東武野田線の野田駅周辺には商店街も民家もなく、醤油の香りが立ちこめる工場群が広がります。商店街は町をつらぬく県道沿いに集中しており、通りへ向かって歩いていく途中に、茂木家をはじめとした醤油醸造家の屋敷や邸宅があつまった地域に出ます。その先には近代的なキッコーマン本社があるメインストリート。
通りを越えるとキノエネ醤油の工場があります。今も野田には数社の中小醤油メーカーがあります。 上花輪地区には明治以降の古い醤油蔵や高梨家邸宅をはじめキッコーマンの工場群が続き、最後に江戸川の堤防沿いに鎮座する、堀に囲まれた城郭の様な建物は「宮内庁・御用醤油蔵」。
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