旧津久井郡相模湖町の小原地区には宿場町時代を偲ばせる家並みが残されています。また、その一画には稀少な豪農建築の本陣・清水家が保存され公開されています。
小原宿は甲州街道(当時は甲州道中)が武蔵国から相模国に入った最初の宿場町です。甲州街道を踏襲している現在の国道20号線は、鎌倉街道との要衝で最大の宿場町であった八王子を出たあと、大菩薩峠を越えて相模湖町へと入りますが、かつての甲州街道は現在中央自動車道が通る、小仏峠のルートを通っていました。このルートは現在未整備ですが、自然遊歩道として多くのハイカーが訪れます。
小原宿の先、宿場町は与瀬宿(相模湖駅前)、吉野宿(相模湖IC付近)と続きます。この3つの宿場町が置かれた場所の地名は、遙か昔に蔵王権現が現在の奈良県吉野地方から、はるか東国のこの地に遷座してきた際に、吉野の地名(大原、八瀬、吉野)を持ってきたという言い伝えが残ります。
小原宿の規模は東西23町、人口275名、戸数61軒で内旅籠は7軒、本陣と脇本陣が置かれ、宿の入口には人馬継問屋と高札場が置かれていました。
宿場町としては、隣りの与瀬宿と合わせた「半宿」であり、人馬継立ては東行きが与瀬宿、西行きを小原宿が担当していました。
ちなみにJR中央線の相模湖駅も、昭和22年にダム湖である相模湖が完成するまでは、与瀬駅と呼ばれていました。旧相模湖町の中心街ですが、こちらは見るべきものは残されていません。
|