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  粕壁
かすかべ
 春日部タンスの町・奥州道中(日光街道)の宿場町
 埼玉県春日部市粕壁

 構成:商家・町家・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

粕壁が日光街道の宿駅となったのは元和2年(1616)とされていますが、同じく草加宿が整備されたのが慶長11年(1606)といいますから、およそ10年遅れて粕壁が宿場町になったという事です。往時の粕壁宿は多くの民家が街道沿いに軒をならべ宿駅と商業で生活を維持し、4・9の日に六斎市が立ったといいます。文政12年の業種別の資料では専業農家205軒に対し商業兼業農家が677軒にも及んだといい、その兼業農家の多くが居酒屋から小売業・旅籠まで多種に及ぶ商売を行っていた事になります。
宿場の規模としては上宿に本陣1軒、脇本陣は中宿に1軒、旅籠は45軒。

江戸時代、武士の衣服入れとして使われていた長持に工夫をこらし、引き出しをつけて作られたタンスは、春日部周辺に良質な桐材が多かったことから、大消費地江戸に近い立地条件もあり春日部桐箪笥の一大生産地となります。草加杉は伐採によってその姿を消し、会津地方からの輸入にたよっていましたが、現在は群馬県地域産の杉が使われています。
戦後、日本住宅公団による大規模な団地造成や地下鉄日比谷線の乗り入れによって春日部は大きく発展することになり、東京のベッドタウンとして急速にその姿を変えていきました。
しかし草加同様に、ビルやデパートが建ち並ぶ駅前市街地の旧街道沿いには、数少ないながらも非常に状態の良い伝統的な商家建築が残されていました。特に粕壁では土蔵が良く目に付きます。主屋は近代的な鉄筋コンクリートの店舗やビルとなっていながら、敷地内には立派な土蔵がごく自然に残されていたりします。
ところが近年、再開発によってそれら奇跡的に残された建築物が取り壊されようとしているのが非常に惜しまれました。


 
取り壊しが予定されている商家