「小江戸」「武蔵野の小京都」と称され、東京近郊に奇跡ともいえる重厚な土蔵造りの伝統的商家群が残る川越の町。
川越はかつて江戸防衛の拠点として幕府要人が藩主を歴任した要地。さらに徳川家康の信任が厚かった僧侶天海が川越喜多院の住職に就いたことも、川越の発展を加速させる要因となりました。喜多院には江戸城から移築した家光誕生の間があることからもこの町の特殊性がうかがえます。
ところが寛永15年(1638)の大火で川越城下の大半が消失してします。川越の復興は「知恵伊豆」と呼ばれた松平伊豆守が城主となって始まります。防災に強い町作りが行われ、今に残る土蔵造りの街並みが生まれたのです。
川越には「黒ノロ」と呼ばれる黒漆喰の土蔵造りが多く見られます。そもそもの防火目的である「白壁」の代名詞にもなっている白の漆喰は、実は雨や雪に弱いのです、そのため漆喰に松脂などを混ぜて防水性を持たものが考え出されました。ラッカーのような独特のツヤを持っています。
国の重要伝統的建造物保存地区に指定され、観光客で賑わう川越の街並みは、現在特殊な事情で危機に瀕しています。年間400万人以上が訪れる観光地でありながら、都心から日帰り圏内にあるためか、町にお金が落とされないのです。その為、廃業・閉店する店が相次ぐ事態となりました。大手コンビニチェーンですら撤退するほど深刻です。
過疎化が進みシャッター商店街となる地方都市とはまるで異なる現象です。街並みの保存には維持費がかかります。しかし、家主が次々といなくなるなかで、どのように建物を維持していくのか。川越のは、街並みの保存・維持と観光地化というものの両立の難しさを、深く考えさせられます。
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