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  越谷
こしがや
 2つの宿場から成る日光街道最大の宿場町
 埼玉県越谷市越ヶ谷本町・中町

 構成:商家・町家・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

越ヶ谷は古くから2・7の日に六斎市が立ち、近郷商圏の中心地でした。奥州街道
(のちの日光街道)や猿島街道、赤山街道が東西南北に貫通する交通の要衝でもあり慶長年間に奥州街道沿いに(初期)越ヶ谷宿が整備されました。また、これにともない隣接する大沢村(現大澤)も町場化し、越ヶ谷の伝馬上の助合村として大沢宿が成立します。
旅籠よりも商家の規模が大きい越ヶ谷宿に対して、大沢宿は純粋な宿場の形態を持ち
本陣・脇本陣もこちらにありました。そして後に大沢宿と越ヶ谷宿は合併し、日光街道最大の宿場町が誕生します。越ヶ谷本町に隣接する「御殿町」は、鷹狩りでたびたび訪れた徳川家康の休憩所が置かれた場所です。
宿場の規模は、大沢町の本陣(福井家)1、脇本陣2(山崎家と深野家)、旅籠大小40軒。うち本陣付御用旅籠が16軒で御用旅籠とは脇本陣と同格の格式をもった幕府指定の旅籠の事をいい、越ヶ谷宿の重要性が良く分かります。

現在の越ヶ谷も東京の通勤圏に属し、早くからベッドタウン化している為、駅前の開発も進み旧日光街道が通る商店街には、往時を偲ばせる町並みは皆無に近いほど残されていません。しかし僅かに残る伝統的商家は現役で店舗を営んでいる反面、意外にもそのコンディションは良いことに驚かされます。また、伝統的建造物が多く残るのは商家町として発展していた旧越ヶ谷宿のほうで、宿場町として発展していた大澤地区には、旅籠など宿場時代の建物は見ることができませんでした。