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埼玉県中部の旧中仙道沿いに位置する鴻巣市は、江戸時代に中仙道の宿町として発展した町です。地名の由来は大宮大地の北辺に位置していた事から、高之洲を語源とする説や、古代武蔵国の国府が置かれていた事から「国府の州」と呼ばれたのが始まり
とする説などがあります。
現在の鴻巣市中心部は、室町期にはすでに市場町が成立しており、江戸期には市宿新田と呼ばれていました。当初の鴻巣宿は江戸よりで、現在の北本市にありましたが、後に現在の場所に移されます。鴻巣宿は中仙道の宿場町であると共に、松山(東松山市)に至る吉見道や箕田追分を経て忍藩の城下町(行田市)に至る忍道、及び、騎西に向かう道との追分宿として賑わい、家数は490軒、 人口2,274人と大きな規模の宿場町であり、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋は58軒で、市場も開かれ4と9の日に六斎市が立っていました。
鴻巣の名産として「ひな人形」があります。天正年間(1573〜1644)に京都伏見の人形師が移り住んだのが始まりとされ、豪華な着物の着付けでは関東一という評判となり、「関東三大雛市」(鴻巣・越谷・日本橋十軒店)のひとつに数えられるほど成長しました。江戸の職人たちは競って鴻巣に修行に訪れ、また鴻巣人形職人の引き抜きも横行しでトラブルが頻発、江戸は南町奉行所のお白州で争われたことも何度もあったと言われます。
鴻巣は現在もそれなりに発展している町であり、その中心商店街に伝統的な町並みはあまり残されてはいないものの、伝統のひな人形を扱う店を中心として、宿場町の面影を残す家並みがわずかながら残されてしました。
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