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  栗橋
くりはし

 関東三大関所の一つが置かれた奥州道中(日光街道)の宿場町

 埼玉県北葛飾郡栗橋町大字北

 構成:商家・町家・ ■ 駐車場:なし
 
 

江戸近郊の重要な「舟運の道」である利根川は、文禄3年(1594)ごろから100年以上にわたり、幾度も流路変更や導流事業が繰り返されてきました。
「栗橋」はもともとは権現堂川右岸の五霞村、現在の茨城県猿島郡五霞町にあった村でしたが、無理な河川の付け替え工事と工事ミスにより旧五霞村は人災による水害に見舞われやがて壊滅してしまいます。旧五霞村の初期水害から村の壊滅を予測していた関東郡代伊奈忠治は、早い時期から対岸の上河辺新田の開発を進め住民の移住を始めていました。この上河辺新田が現在の栗橋で、当時は「新栗橋」と呼ばれ現在の五霞町には元栗橋という地名が残ります。
また、この栗橋移転に伴い奥州街道の道筋も変更されました。
新栗橋は、対岸の中田とともに奥州街道(日光街道)第7次の宿場町として整備されるとともに、利根川の渡しを控えた重要な宿場町となります。
また旧五霞村からの移転に伴い、関所も移されました。「房川渡し中田関所」と称され、箱根・碓氷・と並ぶ関東3大関所の1つとして栗橋は政治的にも重要な要地でした。栗橋宿では1・6の日に六斎市が立ち、近郷商圏の中心地として発展していきます。
現在の栗橋は、近接する市政都市に比べると、著しい発展は行われていませんが、伝統的な町並みも、わずか2、3軒の商家建築以外見ることができませんでした。