東京の副都心・新宿を起点に奥多摩方面へ通じる「青梅街道」があります。
青梅街道の名にもなっている青梅の町は、江戸時代に白壁の原料となる成木石灰の産地として栄えた在郷町でした。徳川家康が江戸に入り、江戸建設の資材となった成木石灰は江戸城や日光東照宮の建設に使用され、「御白土」のブランドを得て全国へと広がり、名古屋城や大阪城にも使用されました。
それら青梅で産出された石灰や年貢などが江戸まで運ばれた道が青梅街道です。特に石灰の輸送路として成木街道とも呼ばれていました。現在の成木街道はこの青梅から北へ、成木地区に向かって続いています。
また青梅から先は、奥多摩を経由して柳沢峠を経て山梨の石和に抜ける甲州裏街道が続き、その途中に山岳信仰の御嶽山を抱え、青梅は旅人の宿場町、そして周辺地域の生活物資の集散する市場町としても発展しました。
今、青梅の町を歩くと、JR青梅駅周辺の旧街道沿いの街並みに展開するレトロな映画看板で彩られています。青梅と映画の繋がりはよく分かりませんが、これを皮切りに「レトロ商品博物館」もオープン。都内では珍しい”町おこし”が盛んな町なのです。
駅前商店街である住江町・本町から青梅街道を西に奥多摩方面に進むと、街道沿いに伝統的な古い商家が点在して残されています。関東出桁造りに土蔵造りの商家。町外れに差しかかる森下町に佇む立派な豪商稲葉家の商家は、江戸後期に建てられた重厚な土蔵造の店蔵で、都の有形民俗文化財に指定されています。その裏手に奥多摩の地酒で、こじんまりとした小さな大多摩酒造があります。
青梅の酒蔵としてはメジャーな澤井酒造はこの先、車で10分ほどの沢井地区にあります。こちらは別項を立てて紹介していますので、そちらをご覧下さい。
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