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上松は木曽木材の一大集散地として知られる町ですが、江戸時代にも尾張藩の木材役所である「御陣屋」が置かれ、木曽木材行政の中心地でもある中山道の宿場町だったのです。
現在の上松中心部も国道19号線は大きく迂回してバイパスしています。旧道へ入り上松市街へと進む。木曽川支流の十王沢川に掛かる十王橋を越えると上松の中心部です。この橋の麓から小さく斜めに伸びる道が旧中山道で、ここから約100mほどだけ往時を偲ばせる家並みが残されていました。このあたりは上松宿の上町で、当時はこの先本町、仲町、下町と続いていましたが、すべて幾度もの大火と道路拡張によって失われてしまいました。
上松宿の宿長は5町31間、家数362戸、人口2,482人と意外に大きな町場だったようです。本陣1軒・脇本陣1軒・問屋2軒で、旅籠は35軒もありました。上松宿もまた半農半商の宿場町で、庄屋でもある塚本家が本陣・問屋を兼ね、原家と小松が脇本陣と問屋を交代で務めていました。
町の南側にある上松小学校付近に尾張藩の木材役所がありました。現在もその付近に木曽木材管理所があります。またメインストリート沿いには木材産業で繁栄した時代の昭和初期のレトロな建物が多く見られ、また違った趣向での町並み歩きも楽しめます。
木曽の木材は木曽川を使って搬出されていましたが、明治43年に中央本線上松駅が設置され、この時期に発電所建設に伴って木曽川水運による材木搬出が不可能になり、木材運搬は鉄道に頼らざるをえない状況となった事が上松を木曽木材の一大集散地へと発展させたのでした。そして、木曽の山々で伐り出したヒノキを輸送するために、この上松を基地に「森林鉄道」が木曽谷にはりめぐらされたのです。森林鉄道は道路整備が進んでトラック輸送に切り替えられて行き、昭和に入って順次廃止されていきました。
この森林鉄道もまた、多くの書籍や写真、サイトがあるので興味のある方は検索してみてください。 |
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