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海瀬

かいせ

佐久鉄道(その後の小海線)によって栄えた町(東町)

長野県南佐久郡佐久穂町大字平林・海瀬 【旧・南佐久郡佐久町2005年合併】

 



(旧)南佐久郡佐久町は佐久地方の真ん中あたりに位置する人口約8,000人弱の町で、 町の中心部の標高は745m。佐久甲州街道(国道141号線)とJR小海線が千曲川に沿って町を縦断し、また東へは国道299号線と十石峠により群馬県上 野村方面と結ばれています。2005年に南に隣接する八千穂村と合併して佐久穂町となりました。この(旧)佐久町は昭和30年に千曲川を挟んで向かい合う 栄村と海瀬村が合併して生まれた町で、千曲川の両岸に双子町を形成しています。かつてこの地域では佐久甲州街道の宿場町であった千曲川左岸の高野町宿が交通の要衝として大きく発展していましたが、この項で紹介する千曲川右岸の東町地区は、もともと佐久甲州街道の千曲川右岸ルートが通り、余地峠への上州往還の合流点でもありましたが、明治〜大正期に佐久鉄道や発電所の建設工事で人口が集中した事によって小商業地区が発展した町でした。佐久地方には地名に「海」の字が多く見られますが、これは平安時代に八ヶ岳の大崩落によって一時期存在した湖に由来するものです。しかしここの「海瀬」地名の由来は千曲川と支流の抜井川と余地川の合流点の水声が激しかった事に由来するとか。佐久鉄道は大正4年に羽黒下駅まで開通。当時まだ終点だった羽黒下駅は物資の集散地となり、木材、石材、鉱石などが積み出され繁栄しました。また大正期から昭和初期にかけて、鉱山ブームが起こり東町には歓楽街や商店街が形成されていったといいます。 という事でこの海瀬の東町は往時の活況はないものの、商店街を形成し、千曲川左岸の高野町宿に対して、今もその面影を色濃く残していました。











東町商店街の終わり、抜井川を渡ると明治期創業の相馬醤油や150年の歴史を持つ老舗旅館「海瀬館」が続きます




東町商店街郊外の海瀬の家並み

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