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  宮田
みやた
 古代より地域の中心地として栄えた三州街道の宿場町
 長野県上伊那郡宮田村宮田
土蔵造り商家・切妻平入商家・土蔵(海鼠壁)  なし  JR飯田線・宮田駅
 
 

宮田村は伊那市と駒ヶ根市に挟まれた細長い人口7,000人の村です。正面にそびえる木曽駒ヶ岳から天竜川にかけて緩やかな山麓扇状傾斜地が広がり、天竜川の河岸段丘上に町の中心があります。姫宮神社への奉納米を作る神田に村の名が由来し、現在は木曽駒ケ岳の登山基地として知られる場所です。

縄文時代前期初頭の三百軒を超える密集した集落の後が発掘され、古代東山道の宮田駅が置かれた記録が延喜式に見られることからも、古代から独自の文化圏の中心として栄えていた地であり、中世においては諏訪郡と伊那郡の境界に位置する軍事的な要衝でもありました。

宮田村と駒ヶ根市の境に流れる大田切川は、古くから「水あらく石たかにして先達なくしては渡りえ難し」と記されるように、急流であり三州街道の難所の一つでした。
この大田切川が足止めとなった事と、飯田城下からの距離的にも利にかなった事から本陣が置かれ、飯田藩主の宿泊地となり、伊那街道の要衝として賑わいます。

この暴れ川として知られた大田切川一帯のこの地は、江戸時代初期に大規模な土木工事が行われ、大田切川や黒川から引かれた用水で平地部の多くが水田となり、豊かな穀倉地帯が開かれたことで一変します。さらに伊那街道が整備され小田切川と大沢川に挟まれた台地の上に宮田宿が置かれたことで再びこの地域の中心地へと返り咲いたのです。

江戸中期ごろからは百姓が副業で中馬輸送を行い、善光寺参りや伊勢参りの旅人が増加。旅籠も多くなり宿場はいっそう繁栄します。

現在国道153号線が町をバイパスし、旧伊那街道(三州街道)を引き継いだ県道沿いに村の中心商店街があります。このあたりに来ると伊那街道の飯田寄り地域で多く見られる本棟造りの民家は無く、オーソドックスな切妻平入の商家や旅籠建築に切り替わる点が興味深く感じられます。また旧伊那街道の宿場町の遺構多くは、町の中心が離れた丘陵部を走る旧道沿いに位置していた事が、町並みが残る大きな要因でしたが、この宮田宿は現在の宮田村中心商店街に、往時を偲ばせるその姿を残している事が他と異なる背景的特徴です。