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古くから人々の信仰を集めた長野善光寺。この善光寺に至る道を庶民は善光寺街道と呼び、中山道洗馬宿の追分から城下町松本を抜け、険しい山間の難所を越えて長野へ至る北国西往還もまた善光寺街道の名で呼ばれていました。
松本空港の東側、長野自動車道塩尻ICのすぐそばに位置する村井町もまた北国西往還の宿場町であると共に、城下町松本の南の玄関口として村井口番所が置かれていました。
戦国時代、甲州武田晴信が信濃遠征の為に気づいた前線基地である村井城の城下町として発達した村井村は江戸時代の街道整備の中で宿場町として再出発したのです。
城下町として形成された為に碁盤の目状に町割りが成されており、その遺構は今も残されています。
記録では街道沿いには本屋敷59軒、半屋敷11軒、門屋敷12軒が立ち並んでいたとされていますが、今も重厚な佇まいの屋敷がいくつも旧街道沿いにその姿を残しています。
現在の村井町に冠称している芳川の地名は、この地域の重要な用水である奈良井川支流の四ヶ櫃を「芳川」と呼んだことにちなみ、明治22年に行われた4ヶ村合併の際の町名となりました。その後昭和29年に松本市に編入され、旧町名を冠した大字となったのです。 |
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