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  麻績
おみ
 街道一の難所猿ケ馬場峠をひかえた北国西往還の宿場町
 長野県東筑摩郡麻績村麻(字麻績)

 構成:商家・町家・本陣門 ■ 駐車場:なし
 
 

麻績は長野市と松本市の間にそびえる聖山南麓の商盆地に形成された町で、JR篠ノ井線が村内を走り、麻績という駅はありませんが「聖高原」駅が村の玄関駅にあたります。(かつては麻績駅でした)
近世の麻績は善光寺街道とも呼ばれた北国西往還の宿場町で、街道一の難所と呼ばれた猿ケ馬場峠を控えて、多くの旅人で賑わった場所でもあります。古代東山道時代から宿駅として成立し、また伊勢神宮内宮の「御厨」(みくりや・荘園)でもありました。北国西往還麻績宿が正式に発足するのは慶長18年(1613)の事で、臼井家が代々本陣を世襲し、発足時57軒の宿場町だったものが幕末には240軒を越すまでに発展しています。問屋は岩淵家の上問屋と葦澤家の下問屋が1ヶ月ごとに半交代で務めました。周囲を山に囲まれ隔絶されたような村でしたが、難所を控えた事に加え、古くから北信と南信を結ぶ幹線道であった事もあり、山間の宿場町でありながら大きく発展したものと思います。

しかし、宿駅制度が廃止されて以降の衰退は激しかったものの、宿場町時代の面影を色濃く残しているのには驚きでした。北信と南信を結ぶ幹線蔵路がやがて聖山の西方を大きく迂回し、信州新町・大岡村経由で犀川沿いを通る国道19号線にシフトした事に加え、アクセスが容易でない山間の小村であることが大きな発展を妨げた事が往時の町並みが残る要因になったものと思われますが、他の地域に見られる隔絶された山間部の宿場町や城下町の多くのが、早い時期にその姿を消していく事を考えると、この麻績宿の町並みを歩いて、建物の保存状態にとどまらず景観を維持しようという思いが随所に見られ、この集落の住民意識によるものが一番大きな要因ではないかとも考えます。

さきほどから「隔絶された地域」という事を強調してきましたが、現在長野自動車道麻績ICが設けられてからのアクセスはすこぶる良いことを最後に記述しておきます。