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  須原
すはら
 酒蔵と水舟、湧水の里・中山道木曽路三十九次の宿場町
 長野県木曽郡大桑村須原
構成:切妻平入民家(旅籠建築・商家)・酒蔵 駐車場:なし
 
 
現在木曽の中心は木曽福島で、これは江戸時代以降に幕府と尾張藩によって行政の中心が置かれたことに始まりますが、中世に木曽谷を支配した木曽氏の時代には、この須原が政治の中心地でした。やがて木曽氏は福島に拠点を移し、このころから須原は宿場町として存続していたようです。もっとも正式な宿場町として整備されたのは江戸時代の中山道整備によるものですが。
この初期の須原宿は木曽川近くにありました。しかし正徳5年(1715)の大洪水により流失。約2年がかりで高台の富岡に移転建設されたのが今の姿です。この為、道は五間幅の広さを持ち、直線的な道筋から「鉄砲町」とも称されていました。町は段丘上の斜面に形成され北の枡形は「ハンギョウの上りの坂」、南の枡形は「カギヤの下りの坂」と呼ばれ、道にそって用水が勢いよく流れています。さらに集落には七箇所、「水舟」と呼ばれるサワラ材の丸太を刳り貫いた水場がより一層風情を引き立てます。
宿場町は幕末の大火で焼失、現在の町並みは明治初年に復興したものです。

須原塾は上町・本町・中町・茶屋町・四軒町から成り、宿長は4町35間、家数104戸・人口748人。本陣1軒、脇本陣1軒、問屋2軒、旅篭屋24軒(大7・中6・小11)で、庄屋は本陣の木村家と問屋の西尾家が交代で務めていました。この西尾家は現在も須原で酒造業を営んでいます。
最初のカーブ「ハンギョウの上り坂」
脇本陣と問屋を担った庄屋・西尾家は現在も酒造業を営む
 
「カギヤの下りの坂」手前の旅籠
須原の酒蔵          
清酒 「木曽のかけはし」 西尾酒造 長野県木曽郡大桑村須原893 0264-55-3002