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  上諏訪
かみすわ
 甲州街道宿場町の酒蔵通り・諏訪氏高島藩3万石の城下町
 長野県諏訪市諏訪元町

 構成:商家・酒蔵・土蔵 ■ 駐車場:各酒蔵P
 
長野県下最大手の「真澄」宮坂醸造
 

東洋一の間欠泉の噴出で知られる諏訪湖や御柱祭りで知られる諏訪大社、さらに日本を代表する世界企業エイコーエプソンの発祥地である諏訪は、古くには信濃から独立した一国の時期もある中信地域の中心地だった場所です。
中世に諏訪一国を南北に2分して権力闘争を繰り広げていた諏訪家も、縁戚関係を結んでいた武田信玄の謀略の前に相次いで滅亡。その武田氏もまた織田信長の前に滅ぼされてしまいます。ここで一旦、徳川家康の傘下で生き延びていた諏訪家の一族が旧領に復帰しますが、天下統一を目前に控えた信長が本能寺で倒れ、秀吉の時代が訪れると、東海甲信地域を領していた大大名であった家康は関東へ封じられ、諏訪氏も共に武蔵へ移されます。
変わりにこの諏訪に入封した豊臣大名の日根野高吉は武田信玄が築いた高島城を再建し城下町の整備に務めました。慶長5年、関ヶ原の戦いの勝利によって家康が天下を握ると、諏訪には再び諏訪氏が封じられ2万7000石の高島藩(諏訪藩)が成立します。その後大阪の陣の功績によって5000石を加増され、三代諏訪忠晴の代に弟二人にそれえぞれ2千石を分知して3万石となり以後10代続いて明治を向かえます。

上諏訪・下諏訪と分かれた時代は古く、 南北朝中期ごろから戦国期にかけて対立していた諏訪大社の上社・下社それぞれの社領としてその名がありました。それらは現在岡谷市・下諏訪町の地域を下諏訪、諏訪市・茅野市の地域を上諏訪としていました。

江戸時代に江戸を中心とした五街道が整備されると、その一つである甲州街道が通過する高島城の城下町にも伝馬地が置かれ、上町・中町・本町に甲州街道上諏訪宿が形成されました。
街道沿いには酒蔵が建ち並び、それらの多くが今も現役で残され、なかでも長野県下最大の石数を誇る「真澄」の宮坂醸造もこの町並みの中にあります。


舞姫酒造や麗人酒造、酒ぬのや本金酒造などが集まる町並み
 
酒蔵以外にも味噌蔵や呉服店・染物屋なども残ります
諏訪の酒蔵          
清酒 真澄 宮坂醸造 長野県諏訪市元町1-16 0266-52-6161    
清酒 麗人 麗人酒造 長野県諏訪市諏訪2-9-21 0266-52-3121    
清酒 舞姫 舞姫酒造 長野県諏訪市諏訪2-9-25 0266-52-0078    
清酒 本金 酒ぬのや本金酒造 長野県諏訪市諏訪2-8-21 0266-58-0161    
清酒 横笛 伊東酒造 長野県諏訪市諏訪2-3-6 0266-52-0108