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  高遠御堂垣外
たかとう みどうかいと
 本陣が置かれた杖突街道随一の宿場町
 長野県伊那市高遠町藤沢御堂垣外 【旧・上伊那郡高遠町】2006年合併
切妻平入旅籠建築・古民家・土蔵・本陣跡  公民館 JR飯田線・伊那市駅よりバス・高遠乗換
 
 
旧・高遠町北部、藤沢川流域の地域は「高遠七郷」の一つで藤沢と呼ばれる地域でした。その北側地域の中心地が御堂垣外(みどうがいと)です。難解な地名ですが、村内に5つの堂があったからとも言われ、古代東山道の時代から交通の要衝であったと言われています。

江戸時代の高遠藩主・鳥居氏の時代に藤沢川に沿った杖突街道が整備されますが、この道は古代官道・東山道を踏襲しています。杖突街道は御堂垣外から先も北へ進み、街道名の由来にもなった杖突峠を越えて諏訪や茅野へ至りますが、この御堂垣外からはもう一つ、松倉川に沿って北東へ進み金沢峠を越えて、甲州街道の金沢宿へ至る金沢街道が分岐します。
この金沢街道の道筋が東山道であったと言われています。

御堂垣外宿にはこの街道で唯一本陣が置かれました。脇本陣はありませんでしたが、問屋が代わりを務めました。文久2年の記録では家数58、人口242人と他の宿場町の倍近い規模である事からも、街道一の宿場町であった事を表しています。さらに参勤交代の時などは隣接する間の宿の水上宿と共に宿業務にあたりました。

現在も国道152号線沿いに、往時を偲ばせるような土蔵や旅籠建築が並ぶ街村ですが、旧家のような門構えの重厚な屋敷が多いのが御堂垣外の特徴です。しかし、その多くが無住のようで建物の荒廃が目立っています。かつて、街道随一の宿場町として栄えた御堂垣外も、現在は旧高遠町、さらに伊那市の再端部に位置する僻地の集落となり、過疎化の波の中で消えていく運命にあるようで惜しまれます。