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繊維の町として今に続く見附の成立は江戸期の村松藩の時代にさかのぼります。
現在の見附市本町・新町は村松藩時代に刈谷田川舟運を目的に元町から移転して作られました。やがて村松藩の領内支配の拠点として本陣や御旅屋などが整備され、在郷町として発展しました。見附の名産品「見附ゆうき」は「見附結城織」のことで、文政10年(1827)商人山田屋勘右衛門によって始められます。もともとは松村藩家中妻女の手内職として木綿糸の生産が行われ、下総の結城に送られていましたが糸がだぶついてしまい、その打開策として結城から織物技術を導入して自前の生産をはじめました。
やがて見附織りの評価は全国に広まり生産は急激に拡大。その影響は農村部にまで拡大し、藩による農家での織物製造禁止令まで出されましたが止めることはできませんでした。見附は明治以降も繊維の町として歩みはじめます。
切妻妻入商家と雁木で有名な見附の街並みは本町3丁目の商店街の終わり付近に見られますが、本町1丁目付近には平入二階建ての商家が軒を連ねていました。
「雁木」は豪雪地帯で生まれたアーケードの一種で、青森では「こみせ」と呼ばれているものです。
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