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鮭の城下町として知られる村上。鮭と酒をかけている訳ではありませんが、北越を代表する銘酒「〆張鶴」の酒蔵がある町でもあります。
越後一国を領した上杉氏が秀吉によって会津へ移封され、かわって堀氏が越後に入ると、その与力として越後最北の城下町本庄に村上義明が入封し城下を村上と改めました。
江戸時代に入ると、親藩・御家門・譜代など10万石クラスの有力大名が不祥事などに理由によりめまぐるしく入れ替わり、いわば左遷の性格が強い城下町となりますが、内藤弌信が5万石で入封し、以後内藤氏の支配のもと明治を向かえます。
鮭の遡上性を世界で最初に発見したのは、この内藤氏の時代でした。古くから村上の重要な水産資源であり藩の財源だった鮭はこの時代に激減します。
そこで藩をあげて鮭の養殖方法を研究し遡上性を発見。河川の改修工事を行い鮭の繁殖事業を推進しました。
村上の町は町人町だった大町や小国町。家臣屋敷・武家町だった堀片や新町・三之町などがありますが、全体的として伝統的な建物はあまり残されていません。
しかし武家町には文化財級の建物や屋敷が個々に保存されています。
村上は鮭を使った料理がとにかく豊富。料理がうまけりゃ酒もうまい。
新潟を代表する銘酒「〆張鶴」の宮尾酒造は城の北側、門前川沿いの上片町に酒蔵を構えています。一方、町の中心部に工場を構える大洋酒造の「越乃松露」もまたうまい酒です。 |
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