新潟県北部を流れる荒川沿いの温泉郷、関川村の下関地区には文化財に指定されている豪商の屋敷が軒を連ねる一画があります。
鎌倉時代の初めごろ、この村に桂関と呼ばれた関所が置かれ、その集落が上関、下関と呼ばれました。下関は江戸時代になると米沢街道沿いの宿場町、荒川舟運の拠点として発展します。役場前の通りには国指定重要文化財の渡辺家をはじめ、県指定文化財の津野家、国指定重要文化財の佐藤家など伝統的な佇まいの荘厳な屋敷が連なります。
通りに面した平入りの店舗と妻入りの母屋が組み合わさった石置木羽葺屋根撞木
(しゅもく)造りの一番大きな屋敷が国指定重要文化財の渡辺邸です。
渡辺家の初代儀右右衛門は村上藩主松平直矩の家臣で、直矩の播磨姫路移封の際、致仕してこの地に残りました。その後廻船業・酒造業、新田開発などで財を成し、新田開発などで大地主に。財政難で苦しんでいた米沢藩をはじめ長岡藩や幕府にまで支援したと言われています。
撞木造りの茅葺き屋根を持つ佐藤家は庄屋を勤めた家柄で渡辺家に次ぐ大地主。今の建物は明和2年(1765)築の国指定重要文化財。
県指定文化財の津野家は独特の造形が目を引く茅葺き屋根をしています。
撞木造りは日本海北陸地域によく見られ、福井県などでは「カグラ建て」と呼ばれています。ちなみに撞木とはお寺などで鐘をたたくT字の棒の事。英名でハンマーヘッドシャークの名を持つ「しゅもく鮫」も同じ語源です。
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