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  青柳
あおやぎ
 富士川有数の河岸にして駿州往還と駿信往還の追分け宿
 山梨県南巨摩郡増穂町青柳町・長沢

 構成:商家・酒蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

青柳は戦国時代に兵站の中継地として諸役が免除され、武田勝頼の時代に新宿の建設が始まります。やがて西郡における交通の要衝となると六斎市が開かれます。
江戸時代、徳川家康から富士川舟運の為の開削事業の許可を得た大久保長安は、京都の角倉了以に命じて事業を行います。
そして本格的な舟運開始に合わせ、鰍沢・青柳・黒沢の三河岸が開かれました。三河岸の中で最も大きな河岸は100隻の舟を有した鰍沢河岸でしたが、青柳河岸も84隻の舟を有していました。さらに岩間宿(市川三郷町)から直線で山間部を通って市川大門宿に通じていた駿州往還の道筋が、青柳宿に口留番所が設けられた事により当宿を経由する道筋に改められます。これにより青柳宿は甲府城下へ至る駿州往還(甲府路)と信州方面へ至る駿信往還(信州路)の追分け宿として発展、陸路水路の要衝の地位を拡大していきます。街道筋には次第に商店も建ち並び、呉服商を初めとする諸商売に加え酒造や醤油味噌醸造も行われるようになります。
ちなみに地元では青柳宿で分岐する2つの往還はいずれも甲府へ通じる道であった為に、駿信往還を西回り、駿州往還を東回りといいました。

明治になると2つの街道には鉄道が敷設され、自動車時代が到来すると鉄道は廃線となり車道が拡幅されていきました。旧青柳宿の商店街も再開発され古い町並みは完全に消え去ってしまいましたが、青柳町交差点付近に構える地酒「春鶯囀」を醸造する萬屋醸造の酒蔵が目を引きます。この萬屋醸造は寛政2年(1790年)の創業で、蔵の歴史を感じさせる社屋に土蔵を改装した店舗兼ギャラリーなど日本酒文化をアピールするさまざまな試みが商品展開に表れ、非常に好感が持たれる酒蔵でした。青柳の追分けを左に旧駿信往還の方へ進む長沢地区には漆喰に海鼠壁の伝統的な商家建築が姿を現します。
いずれも屋根の妻面にも海鼠壁を施した、河内地域特有の建物でした。

 
長沢地区の家並み
増穂町の酒蔵          
清酒 春鶯囀 萬屋醸造 山梨県南巨摩郡増穂町青柳1201-1 0556-22-2103    
清酒 梅ヶ枝 大久保酒造店 山梨県南巨摩郡増穂町大久保341 0556-22-0227