山梨県の湯治温泉郷として名高い、信玄の隠し湯として知られている下部温泉から林道を20分ほど登っていくと小さな集落に辿りつきます。「
湯之奥」集落とはまさにその名で、古くは金山として栄えた集落でした。金山は武田氏時代に発見され江戸時代にかけて産出されていましたが、元禄年間には枯渇し閉山してしまいます。
最盛期の金山は内山・中山・
茅小屋の三鉱区があり、それぞれ内山村千軒・中山村千軒・茅小屋村千軒と呼ばれ、それらを総して湯之奥三千軒と称していました。
鉱夫の集落であるとともに金の精錬所や女郎屋敷などもあったと言われています。
さらに集落を通る道筋は、東の中道往還及び富士山麓と西の駿州往還を結ぶバイパスである湯之奥道にあたり、宿場的や役割も果たしていたと思われます。
集落を貫く旧街道筋は石畳になっているのですが、いつ頃の物かは分かりません。
しかし、急峻な道筋をなかなか上り下りしやすい造りになっているのには感心しました。集落の中ほどに建つには国の重要文化財に指定されている入り母屋造り茅葺き屋根の門西家住宅があります。門西家は金山奉行を務めた家柄で、元は佐野氏を称していましたが柳沢吉保の時代に改称したと言われています。
門西家住宅は現在も人が住んで生活しており、見学には家主もしくは近所の方への了承が必要です。
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