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群馬県の原町と聞いてもピンと来ませんが、原町は吾妻町(現・東吾妻町)の中心市街であり、JR吾妻線の群馬原町駅が町の玄関口です。
吾妻町は榛名山の北西麓からJR吾妻線や国道145号線の併走する吾妻川にかけて広がる町で、関東の名湯「草津」に渋川経由で至る途中で通る町です。
国道145号線は、草津温泉に至る道から「草津街道」とも呼ばれていますが、その他信州と上州を結ぶ「信州街道」の別名もあります。しかし、そもそもこも道は中世に真田氏が上田城と沼田を結ぶ軍用道路として整備したのに始まります。
江戸期の吾妻郡は沼田藩領となり、この原町には沼田藩の吾妻郡奉行所及び御殿が置かれ、吾妻郡における政治経済の中心地として始まったのです。
戦国期、真田氏支配下の時代は岩櫃(いわびつ)城の城下町であった平川戸町が当地域の中心地でしたが、江戸時代に岩櫃城は破却され、あらたに吾妻原と呼ばれたこの地に町は移転されます。そうして「原の町」「原新町」から転じて「原町」と呼ばれるようになりました。
吾妻原の外れには、現在も国の天然記念物として残る大楠があり、この大楠を鬼門塞ぎとみたてて、南西七町の町割で新しい町場が建設されました。
真田道は江戸期になると草津への道となり、また遙か東の北牧及び杢ヶ橋関所を通った三国街道(後に三国脇往還)が川止めとなった際には、大きく迂回してこの原町を経由して本道筋に向かいました。
吾妻郡で唯一、1と6のつく日に六斎市も立ち栄えた原町ですが、その後交通の要衝として町場化していた中之条にも町の機能が移されることにより、市の開催日も含めて競合し、狭い盆地にある2つの市場町の対立、係争は明治期まで続くことになります。
現在、この地域の中心は完全に隣の中之条町となり、かつての原町もまた、国道に面した地区に郊外型の店舗が建ち並んだ事によって、完全にひっそりとしていますが、金星酒造の酒蔵を始め、僅かですが古い家並みも残されています。町の鬼門に立つ大楠はすでに老齢で、厳つい鉄骨によって、かろうじて立ちつくしている状態でした。
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