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草津街道の景勝地「吾妻渓谷」に差しかかる手前に、通称・岩島とよばれる集落がある。現在はJR吾妻線の岩島駅にその名が残されているが、岩島という地名は無い。
かつて岩下村と三島村が合併して生まれた岩島村は、その後周辺町村と合併して吾妻町となり、合併前の大字が今に引き継がれている。
岩島は、街道沿いの宿場町の様相と養蚕集落を合わせ持つ集落として知られている。その場所は吾妻町(現在は東吾妻町)の草津よりにある、岩下地区と松谷地区で、国道沿いに大型のせがい造り民家がいくつも建ち並んでいる。中には今も旅館を営んでるものや、土蔵造りの商家をもつ建物もある。
草津街道は古くから、多くの旅人が行き交った道である、農間余業として休憩所や茶屋などを営んでいたのであろうか?
岩島は養蚕地域であったが、麻の生産地としても古くから知られ、品質は日本一で最上ランクを誇るらしく、天皇家の使用する麻は岩島産の産品であるという。
さて、岩下という地名は戦国期に真田氏の拠点となる岩櫃城が築かれた、難攻不落の奇岩の山・岩櫃(いわびつ)山の麓に位置することに由来する。
南宋画にも出てきそうな岩櫃山周辺には忍者集団として知られる修験者・根津一族の拠点でもあったという。このような岩島はやがて、現在建設中の八ッ場ダムの湖底に沈む運命なのだ。
この岩島から少し先の景勝地「吾妻渓谷」と名湯・河原湯温泉も同様に沈むのだが、こちらは早くからニュースなどで知られているようだ。現在JR吾妻線の付け替え工事や、国道145号線の地域高速道路昇格による高架建設が着々と進んでいる。
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岩下地区の家並み |
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松谷地区の草津街道筋の家並み |
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