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旧問屋兼本陣の森田家邸
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上野田は榛名山の東側中腹から裾野にかけて発達した街村で、慶長年間から下野田と共に伊香保街道の宿場町として発展しました。宿の長さは6町(約650m)道幅は3間あり、北側道路脇には水路が設けられ灌漑・防火・雑用水の他、水車を回して街道をいく牛馬の引用水にも使われていました。そしてそれは今も残されています。
宿場は西高東低の傾斜地の為に間口・奥行きは一定しておらず、道路を挟んで両側に屋号や呼び名を通り名にもつ家が25軒づつ並び、中央には本陣兼問屋を務めた森田家があります。現存も残る森田家旧問屋の屋敷が野田宿の面影を色濃く残していますが、街道に沿って段差のある屋敷構えの民家には当時の屋号が掲げられ、集落をあげての歴史保存によって往時を偲ばせる町並みが形成されていました。
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