烏川中流右岸の河岸段丘上に位置する上里見地区にかつての草津街道の宿場町として賑わった神山宿の街並みがあります。
上里見村は1748年松平(奥平)忠恒の陣屋が置かれていました。対岸の室田と共に中山道宿駅の助郷となり村民に重い負担が強いられていましたが、1746年中山道脇往還・信州街道(草津街道)の荷継場として室田宿、神山宿が開駅されます。
両宿は北信の飯山、松代、須坂3藩の参勤交代、江戸廻米の継立地として発展しましたが、特に古来からの名湯草津温泉への湯治客で賑わいます。その為この道は草津か街道とも呼ばれました。しかし川を挟んだ両岸に2つの宿場町が発達したた
めに、両宿の係争は明治まで続いたといいます。
高崎と草津を結ぶ草津街道・国道406号追いに神山宿の遺構として僅かに残る伝統的な家屋はすべて大型の旅籠建築であり、商家建築などは見られませんでした。
二階建出桁造りのこれらの建物はおそらく明治以降に建てられたもので、現在は全て住居として改修されていますが、千本格子の家並みが往時を偲ばせています。
現在も長野方面へ通じる裏道として交通量があるにも関わらず、どの建物も比較的保存状態が良いのに驚かされます。
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