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  草津
くさつ
 伝統と生活とリゾートが同居する東日本一の温泉地
 群馬県吾妻郡草津町大字草津

構成:せがい造り旅館建築 駐車場:町営有料P
 
 

西の大関・有馬温泉とならぶ、東の大関・草津温泉は長野県に近い群馬県西部、白根山の東麓に位置する標高1,200mの高原盆地にある温泉地で、源泉の数は大きなもので29箇所にも及び、中でも温泉街の中心には「湯畑」と呼ばれる大源泉が草津の代名詞にもなっています。湯は毎分3万6,000Lの湧出量を誇り、温度は25〜96度。熱い湯が草津の湯の醍醐味でもありますが、高温の湯を板でかきまぜ冷気で冷ます「湯もみ」という技法も伝統文化として守られています。

草津の歴史は古く、日本武尊に始まり、行基や源頼朝による開湯説などがありますが伝承の域を出ません。近世では真田氏の家臣で海野氏の一族、湯本氏によって江戸初期まで支配・温泉経営がおこなわれていました。草津の湯は硫化水素臭の強酸性泉である事から「くさい水」が転じて「くそうず」となり「草生津・九生津」と書かれていましたが、江戸期から「草津」に統一されました。

年間200万人以上の観光客を誇り、冬もスキー客を中心に賑わっていますが、明治の中ほどまでは「冬住み」といって、厳寒な豪雪地帯であるが為に年間のうちで11月から4月までの期間は温泉地を閉鎖し、住民は下山して麓の集落で生活をしていました。
「草津」の名を世界に広めたのが、明治期にこの地に訪れたドイツの医学者、エルウィン・ベルツ博士です。自費で温泉研究所と療養所を建設。正しい温泉の入浴法の始動と高原リゾート地建設の方向を示し、現在の草津の基礎が固められました。

温泉街は小さな谷底の湯畑を中心に大小100近い旅館やホテル群が形成されています。老舗旅館を中心に木造3階建て”せがい造り”の旅館や商店が残ります。
全体的に近代的な建物に生まれ変わっていますが、伝統的な建物に合わせて外観の変更や立替えなどイメージ造りが進められています。草津は温泉地であると共に町の中心市街でもあり、観光と生活が同居しており、その為普通の温泉地よりも活気づいていおり、長期滞在にはもってこいの温泉地です。

 
 
 
 
 
長野原町の酒蔵          
清酒 「秘 浅間酒造 群馬県吾妻郡長野原町長野原30-8 0279-82-2045