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太田市の北端付近に丸山町という名の町というよりは集落があります。集落の外れに小高い丘、小山があり、町の名はこれに由来します。中世にこの山には砦が築かれ、現在は山頂に米山薬師がひっそりと建っています。
丸山町の中心集落には、集落の中央に水路が流れ、道の両側には白壁の門塀や伝統的な家並みが並んでいます。丸山町は江戸時代に桐生と中山道を結ぶ往還の宿場町として発展した町でした。
関ヶ原の戦い後に、近隣からこの街道沿いに住民が移転してきて村が成立、慶長11年(1606)館林領により正式に丸山宿として認められ、同時に市場の開設も許されました。宿場は桐生新町と太田宿の中間に位置しました。桐生は幕府直轄領であり、関東におけ絹織物の主産地として、江戸への供給で繁栄した町です。水を嫌う織物を陸路で運ぶ為にこの街道が整備されたのです。安政年間の丸山宿の規模は家数
40戸、人口147人、茶屋3軒に旅篭屋1軒がありました。
現在の丸山宿跡には4〜5軒の家がありますが、いずれも大きな敷地を持っており、伝統的な様式の建物は大きく、郵便局や病院を営む家など、いずれも地元の旧家のようです。駐車場や空き地も目立ちますが、暫くはこの景観が続く物と思います。
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青木歯科医院・建物は広い庭の奥にある |
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