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  西明谷
にしあきや
 「群馬」の発祥となった中世の城下町・伊香保街道の宿場町
 群馬県群馬郡箕郷町西明谷  【群馬県高崎市箕郷町西明谷】2006年編入

 構成:旧酒蔵・商家・土蔵・長屋門・武家屋敷 ■ 駐車場:あり
 
 

高崎市の北西、伊香保温泉に通じる街道が通る箕郷町西明谷。古い酒蔵を中心に商家建築や農家屋敷が残されています。箕郷町は昭和30年に箕輪町と車郷村が合併した町で、箕輪は中世より城下町として栄えていました。また車郷は古代の地名で「群馬郷」と呼ばれ”群馬”県の由来となった地域でした。

関ヶ原の戦い後、関東北辺の要である箕輪城には家康の譜代筆頭大名である井伊直政が12万石で入封します。しかし慶長3年、直政は城下町を中山道和田宿へ移転させます。和田宿は後に「高崎」と改められます。この際、城下の住民及び寺や人家を全て移転させた為に、旧箕輪城下は無住の町となった事から「空家」の意味で「明谷」という地名が生まれたといいます。旧町人町が西明谷、旧武家町が東明谷となりましたが、旧箕輪城下の町名もすべて高崎城下へ移した為に、高崎と同じ町名が小字として多く残されています。
町の中心部には、その後この地域を支配した安房勝山藩白川陣屋の代官である下田氏の屋敷と庭園が「下田邸書院」として保存されています。
この庭園は「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士のひとり堀部安兵衛の造です。
その後西明谷一帯は伊香保街道の宿場町として賑わい、やがて在郷町として発達、酒造りも盛んに行われ「友鶴」「岩戸川」「将軍」など3軒の酒蔵があり、近年まで操業していましたが、現在は全て廃業しているようで、町並みの中心となっている2軒の酒蔵も、いつまでその姿を残しているのか分かりません。