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  鬼石
おにし
 奥多野の商業中心地として栄えた市場町・宿場町 
 群馬県多野郡鬼石町鬼石 【群馬県藤岡市鬼石】2006年合併

 構成:商家・町家・酒蔵・土蔵 ■ 駐車場:あり
 
 

鬼石は中世には尾西とも書きましたが、名前にもあるように石に関する伝説が数多く残り、古くからの石材の産地でした。江戸期からすでに三波峡は景勝地としても知られ、三波石を利用した庭石業、造園業が地場産業になっていました。そしてそれは現在も鬼石の中核産業として続いています。
中世の鬼石は上杉氏の家臣である長井政実が浄法寺城を築いて支配していましたが、甲斐武田氏の侵攻の前に屈服。その後鬼石は武田氏と小田原北条氏の勢力接点となります。江戸期になると諸街道が整備され、鬼石には中山道新町宿から山中領の村々を経て信濃へ通じる十石峠道が通り、寛永年間以前からすでに六斎市が立っていたといいます。神流川の谷口に位置する鬼石は、奥多野の諸産物の集散地として町の半数以上が商業に従事し、やがて養蚕業が発達すると絹取引の中心市場として栄えます。近江商人の進出も多く武州秩父、児玉、本庄へ通じる交通の要衝として栄え、市場町・宿場町として発展していきました。
鬼石神社には「市神」が祀られ、現在も毎年3月29日に行われる「ひな市」や7月14・15日に八坂神社の祇園祭りはその名残で、過疎化が進み人影の少ない鬼石も祭りの時期には大変賑わうそうです。
明治に入り十石峠道の拡幅が行われると、馬車鉄道の開通や交通量の増加により問屋や商店が増え商業が活発になります。その後養蚕業は衰退しますが、古来からの石材業は続き、昭和39年からの下久保ダムの建設により道路が舗装され、高度経済成長期が訪れると、鬼石の庭石業は急速に発展しました。

鬼石バイパスの開通により鬼石の中心商店街の交通量は減少し、静かな商店街の姿が戻りました。連続性はありませんが伝統的な商家が点在し、少しですが市場町・宿場町の面影が残されていました。

 
 
 
鬼石の酒蔵          
清酒 鬼面山 藤崎そう兵衛商店 群馬県多野郡鬼石町鬼石108-2 0274-52-2011