高崎から上信電鉄で1時間、終点の下仁田は、ネギやこんにゃくで有名な小さな町。戦国時代から数多くの城が築かれ、甲州の武田軍と上州軍が対峙した場所でした。
江戸時代には幕府領となり信州と江戸を結ぶ信州姫街道(中山道脇往還)の宿場町が置かれると、周辺地域から産物が集まり、やがて物資の集散地として九斎市も開かれました。また、南牧村経由のもう一つの姫街道と合流する要衝でもありました。
下仁田地域は米が取れず、信州佐久地方から米を運んでいましたが、米商人の投機や不作の影響に端を発して、たびたび米騒動が起きました。
一揆や幕末の動乱で幾度も町は消失。現在残る街並みはほとんど明治以降に建てられたもので、土蔵造りの商家が多く見られますが、下町・仲町・上町の商店街には宿場町を思わせる佇まいの街並みが、ほんのわずかですが残されています。
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