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  須川
すがわ
 「たくみの里」三国街道の宿場町
 群馬県利根郡新治村須川 【群馬県利根郡みなかみ町須川】2005年合併
 構成:商家・古民家・本陣跡 ■ 駐車場:無料観光
 
赤谷川右岸の河岸段丘丘陵上に須川平と呼ばれる農村地帯が広がり、その一画に三国街道の宿場町として発展した須川の町並みがあります。

近くを流れる須川川は酸性度が強く、古くは「酢川」と書かれたのが須川の地名の由来となりました。三国街道は佐渡往還とも呼ばれ、参勤交代の大名以外にも佐渡奉行や幕府の重要な財政基盤である佐渡の金・銀が運ばれる道でした。慶長14年には道中奉行の管轄となります。
現在の新治村内には下新田・今宿・布施・須川・相俣・猿ヶ京・永井の7宿が設けられていました。その中で須川宿は宿を維持する負担に耐えられず、消えた時期もありましたが、かろうじで存続しました。

しかし 明治に入り現在の国道17号線にあたる新道が相次いで整備されると、須川宿は役割を失い衰退していきました。
新道は赤谷川沿いを開削して建設され、須川宿からかなり離れたルートを通った為、完全に取り残された集落となり、古い街並みが残る結果となりました。
現在須川宿は「たくみの里」として整備が進んでいます。須川宿の街並みは往時を偲ばせる雰囲気を持っていますが、殆どは街並みを意図して建てられたものではないかと思います。豪雪地帯であり当時から半農半宿の宿場町だったのか、大型のせがい造り民家が余裕をもった間隔で立ち並び、街村に近い形態をしています。