昭和60年の御巣鷹山日航機墜落事故でその名が全国に知れた上野村は、標高2000m級の山々に囲まれた群馬の秘境とも呼ばれます。
江戸時代には幕府の直轄地として山中領上山郷と呼ばれ、関東代官の管理下にありましたが、在地士豪の子孫である肝煎名主が村政を行っていました。
楢原地区に建つ名主黒沢家の屋敷は国重要文化財に指定されています。
御巣鷹山は将軍の鷹狩り用の巣鷹を捕らえる為に指定された山の事をさし、固有名詞ではなく全国に数多くの御巣鷹山が存在します。ここ上野村には27箇所もありました。
集落は村内を流れる神流川とその支流沿いに点在し、神流川に沿って通る現在の国道462号は十石街道と呼ばれていました。
秘境山中郷は耕地面積が少なく米が取れなかった為、信州佐久地方から米をはじめとする生活物資を購入していました。県境にまたがる十石峠は、佐久から運ばれる1日の米の量が十石だったことでその名が付けられました。
中山道の脇街道にもなった十石街道の白井村には白井関所が置かれ、同時に物資が集積し宿場町へと発展しましたが、現在その痕跡すらありません。
楢原地区に国重文の黒沢家住宅とその周辺に家並みを残し、川和地区にはこの地方の特徴的な養蚕民家の集落があります。長屋門を持った家もありました。
川和地区には農家だけでなく民宿や商店、食堂を営んでいる民家もあり箱庭のような落ち着いた、いつまでの残していたい風景がそこには残されていました。
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