「府中」とは古代律令時代に国府が置かれた場所の事をいいます。江戸時代に府中藩が置かれた石岡は常陸国の国府が置かれた場所でした。現在も「国府」の地名は中心部に残されています。
石岡は中世に平将門が藤原氏からこの地を奪い、その後源頼朝が攻め入り、家臣の大掾氏が石岡城を築きます。しかし戦国期時代になると常陸統一をめざす佐竹氏によって大掾氏は滅ぼされ、石岡は佐竹氏の支配となりますが、関ヶ原の戦いで態度を示さなかった佐竹氏は東北の辺境、秋田へ左遷されてしまいます。
江戸時代になり石岡には六郷政乗が1万石を与えられ府中藩を立藩します。
その後皆川氏・松平氏・幕府領と経て、元禄13年水戸徳川頼房の五男松平頼隆が幕府から府中2万石を与えられ府中に陣屋を構えました。ちなみに歴代藩主は江戸に常駐しており、家臣だけが陣屋で執務を行っていました。
松平府中藩は10代続いて明治を向かえ、石岡藩と改称します。
府中は水戸街道の宿場町が整備されると、物資の集散地へと発展します。集められた物資は隣接する霞ヶ浦の高浜港から江戸方面へ運ばれました。
時代地域を問わず物資の集散地には酒蔵も建ち並びます。それは筑波山系の伏流水に恵まれた府中でも例外ではありませんでした。
現在石岡に残る伝統的な建物は国府7丁目にある酒蔵「府中誉」一軒のみで、その長い歴史を感じさせる重厚な佇まいの店蔵を構えるこの蔵の創業は安政年間とか。
およそ150年の歴史をもつ府中誉は、現在も精力的な商品開発とマーケティングを行い、ついには幻の酒米「渡舟」を復活させるなど、首都圏でも知る人ぞ知る有名な酒蔵です。
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