水海道から下妻方面に国道294号を北上すると、突如天守閣が見えてきます。
中世に豪族豊田氏が築いた豊田城の跡地に城を模した施設、その名も「石下町地域交流センター豊田城」。
豊田氏は鎌倉時代にこの石下に居住し石下氏を称します。戦国時代になると石下氏は本豊田に豊田城を本石下に石下城を築いて防備に備えましたが、多賀氏によって滅ぼされてしまいます。しかし今度は、関ヶ原の戦いで多賀氏は改易されこの地は幕府領に。やがて幕府による利根川・鬼怒川・小貝川の改修事業が行われ、周辺の低湿地帯は次第に新田開発されていきます。現在石下町に残る江連用水をはじめとする5つの用水路はこの時代に造られたものとか。
幕末には石下に市場町が成立。明治に入ると繊維業で発展し、石下紬の名は全国にその名が知られました。このころ石下には2軒の酒造家が現れます。
新石下の山中家、上石下(現・新石下)の野村家がそれで、清酒「一人娘」の山中酒造店、清酒「紬美人」の野村醸造として今も続いています。
石下の街並みは本石下・新石下それぞれに残る酒蔵周辺にわずかながら、見ることが出来ます。
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