東関東自動車道の終着点、千葉県佐原市(現香取市)と接する茨城県南端にして水郷地域有数の町・潮来。どうしてこれを「いたこ」と呼ぶのか。「いたこ」と言っても青森は恐山の霊媒師とは一切関係ありません。
古くは伊多久もしくは板来と書きましたが、江戸時代に”黄門さま”こと水戸光圀によって「潮来」と改称されたのです。常陸の方言で「潮」を「いた」と読んだ事に由来する事を光圀が気に入ったからとか。
潮来は古代より陸路・水路の要衝であると共に、鹿島神宮参道の板来駅も置かれていました。江戸時代になると東北と江戸を結ぶ物流ターミナルとして栄え、陸奥仙台藩や南部藩の蔵屋敷を始め、旅籠や遊郭も建ち並びました。
潮来遊郭は江戸吉原を模して造られ、水戸藩二大遊郭にまで発展します。潮来は近隣に東国三社(鹿島・香取・息栖)を抱え、その参詣客でも多いに賑わいます。
しかし、潮来の繁栄も江戸中期から陰りを見せます。潮来河岸は川砂の体積による機能低下によって船舶の寄港が困難になり、造船技術の発達による船舶の大型化はそれに追い打ちを掛け、その役割を千葉の銚子に奪われ、さらに江戸への直接入港によって古来から続いたその役割に終止符が打たれます。しかし、その後も東国三社への参詣客は絶える事は無く、奥州諸藩の蔵屋敷が退いた後も宿場町として多いに賑わいました。
千葉と水戸を結ぶ国道51号線は潮来の中心市街を迂回した為に、旧道は静かな生活道路となっていますが、往時を偲ばせる町並みはほとんど残されていません。
町の東側に桝形が残り、そのさらに東側に本陣を思わせる重厚な長屋門が目を引きます。さらにその先には文化元年(1804)創業の愛友酒造の土蔵街が風情ある風景を残してしました。愛友酒造は鹿島神宮にも神酒を納めている水郷地域有数の酒蔵で海外でも高い評価を得ており、地域の振興にも積極的に関わる旧家でもあります。
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